考古学・歴史学、趣味の色々な雑文


by nara-archaeol

葬儀終えるも体調最悪

月曜から寝れなくなり、火曜だめ、水曜だめ、で、寝られないので本を読んでいた。

昨晩お通夜、今日葬儀である。

葬儀終わったらなんか宙に浮いてる感じで、吐き気してくる。

棺に花を入れていたらおかしくなってきた。

なので、棺を見送ったら帰る。

腹が立つことがあり、それが寝られないを助長した。

腹を立てすぎての、吐き気だと思う。おそらく軽い胃潰瘍を生じているのだろう。

帰っても食べる気が起こらない。

腐りはじめの桃があったので、それを食物繊維&糖分&水分として補給する。

寝られないので、読み始めたシリーズを読み終える。

最後まで読んだら、もう気力つきてしまった。

雷雨となり、ものすごい、バケツをひっくり返したようなのが降る。

式を終えて気が緩んだのだろう、ようやく2時間強寝れる。

ただ吐き気ひどい。

もう少し寝てみよう。

[PR]
# by nara-archaeol | 2017-07-27 16:19 | つれづれ

姉の逝去

姉が死んだ。

学校出て、父の世話でそこそこの企業で勤めた後、嫁に行って子育てと農業で苦労した人だった。

この間今付き合いのしていない又従弟が亡くなっていたことを知り、小さい頃遊んだことがあった姉に知ってた、と連絡しようかと思っていたが、暑いんで、ぼーっとしてる内に逝ってしまった。

今年は父の従妹の分家当主が亡くなり、今度は姉、である。次は私の番か、と思わなくもない。

姉は長年の無理がたたって、人工透析の身となり、10年を越え、ここ数年入退院を繰り返しており、昨年は確か3回入院したのではなかったか。

今年確か2度目の入院が昨日の救急搬送で、今度は戻ってこれなかった。

人工透析を十数年で、血管が石灰化していて、造影剤を入れなくても太い血管が見えるくらいだったから、そう長くはないとは思っていたが、今日を迎えると、やはり、悔いのようなものを感ぜざるを得ないのである。

遺体が戻ってくる頃を見計らって訪ねることとしよう。

なんだが辛い。


付記:
遺体が戻ってきたので、最後の姿を見に行った。
顔は平安だったが、透析焼けとでもいうべき黒さは出ていた。
確認したら、およそ20年、3000回を超える透析を行っていたという。
透析になる者は酒とか甘いものとかへのスリップで、12年くらい持てばいい方だと聞いていたので、よく節制したのだな、と感心した。
透析3000回はすごい。
主治医は私の友人であったが、感心していたが、納得した。
まあこれで入院した、を聞いて面会に行くことも亡くなったのだと寂しくなった。

[PR]
# by nara-archaeol | 2017-07-25 12:13 | つれづれ
1984年9月21日中山競馬場(千葉県)ではジャパンカップ出走権をかけてオールカマーが行われていた。

ここに登場したのが24連勝を含めて勝ちまくっていた、荒尾競馬(熊本県)のカンテツオーであった。
この競走には各地の地方競馬の強豪が名乗りを上げていた。当時は地方競馬のレベルも高くそれなりの結果を出せる時代であった。

カンテツオーの出走は九州に荒尾競馬場というのがある、というプレゼンテーション効果が非常に大きかった。

このレースの出走馬は以下のようであった。

1ビンゴチムール
2カウンテスアップ(流れ公方のような名馬、この時は大井、岩手・南関東・東海41戦29勝)
3ロンスパーク
4ラウンドボウル
5シンボリカール
6カンテツオー(この時は荒尾、紀三井寺・荒尾・中津)
7ジュサブロー(愛知)
8テツノカチドキ(大井)
9ガルダン(大井)
10ミヤシロファミリー(中央、元岩手)
11スーパーグラサード

で、一番人気は大井のテツノカチドキ、関東地区の競馬であるからこういう結果だが、福島競馬場での地方競馬招待競走を勝ってはいたがダートでこその馬。以下シンボリカール、カウンテスアップ、ガルダンと続き、芝適正があると思われたジュサブローは東海地区のため、5番人気にとどまった。勝ったのはやはり芝適正あるジュサブロー。カンテツオーは11着に終わった。

脱線してジュサブローのことを触れておこう。
ジュサブローは新八犬伝などの人形でも有名だった、辻村ジュサブローから名付けられた名種牡馬シーホークの産駒で、モンテプリンス、モンテファストに続く葦毛の活躍馬であった。
愛知の安達調教師の元で、育てられ、鞍上には「天才」という表現以外にない、騎手としての連体率7割を達成したことがある坂本敏美で、あったが、坂本が事故で半身不随となり、この時にはいない状態となっていた。安藤勝己は天才といわれると天才は坂本さんと答えていたようにまさしく天才であったが、落馬事故の原因を巡っての訴訟に敗れ、家庭も失った坂本は福井県勝山市九頭竜の施設で寂しく亡くなった。

坂本不在はジャパンカップでかかってジュサブロー惨敗となり、安達調教師が「坂本が」とつぶやくこととなった。

で、カンテツオーに話を戻す。

カンテツオーは1980年2月25日栃木県黒磯のナベカケ牧場で、父オフィスダンサー、母スノースポート、という血統で生まれた。オフィスダンサーはノーザンダンサーの子で、母も全米チャンピオン牝馬だったことがある、という良血馬であったので、種牡馬となったが、地方競馬での活躍馬を数頭出しただけで終わった。

中央競馬でデビューしたが、先に書いたように着外2回で見切られ、和歌山県の紀三井寺競馬場の有本調教師の元へ移ったが、これからがすごかった。レベルが低いとはいえ、1984-1985年3着となるまで、24連勝した。日本のサラブレッド連勝記録はこれまた廃止競馬場の宇都宮・足利のドージマファイターの29だが、その次の26のトモエゴゼンを置いて、24のカンテツオーと、荒尾に色どりを付けているキサスキサスキサス、であり、紀三井寺競馬場の名前を記録に刻むこととなっている。

e0216444_21065588.jpg

1986年スタートの葵特別で6着と大負けしたが、荒尾の小佐井厩舎への移籍を入れ、紀三井寺・荒尾で8連勝し、向かったのが、オールカマーだったのだ。で、ここでシンガリ負けすると、これがトラウマになったのか、カンテツオーは普通のちょっと強い馬に成り下がっていくのだ。

e0216444_21024528.jpg

小佐井厩舎から中津高田厩舎へ移籍し、更に小林厩舎に移籍して現役を続けるが、九州ナンバーワンを決めるサラブレッド大賞典は勝てず(佐賀であった1986年の3着が一番いい記録)、荒尾ではここ一番は皆キクノグローリに負け、中津でのチャンピオンを決める中津記念、中津大賞典は中津の至宝高砂哲二で挑んでも縁がなく、櫻木騎手に着を拾ってもらう日々が続き、1991年5月の1着を最後に勝てなくなり、1994年10月15歳で引退した。


e0216444_21035005.jpg
廃止となった西日本の3つの競馬場を転々とし、紀三井寺では紀三井寺のレコードを残したのだった。

廃止3競馬場について最後に総括しておこう。

紀三井寺競馬場は神戸居留地に臨時に作られた競馬場を除くと、鳴尾に次ぐ1909年開場の関西で二番目の競馬場であった。そこそこの売り上げ、そこそこのレベルで、隣の大阪府営の春木競馬場(岸和田市)とある種の連携を行いながら歩んだが、1974年春木競馬場の廃止で、ブロックとしての機能を失い(園田・姫路はアラブ馬の競馬専業だった)レベルの低下を招き、売り上げも年々下がっていくこととなり、結果として、1988年3月28日開催をもって廃止となった。レースが終わると、横の空き地に待機する馬運車で、次に所属する競馬場、乗馬クラブ、馬肉業者などへ送られていく姿は哀れを通り越したものであった。人の方も金沢競馬(石川県内灘町)・高知競馬などに再就職できた少数を除き転業を余儀なくされた。
国道42号線から入った門の右側に厩舎があり、奥に入っていくとパドック、スタンドがあった。
競馬場の跡地はそのまま捨て置かれていたが、結局和歌山県立医科大学として活用されることとなり、病院・大学の施設で埋まっている。敷地の東方は、2コーナーからバックストレート、3コーナーの楕円形部分が残り、競馬場であったことを示している。

最後まで残ったのが荒尾競馬場であった。荒尾は熊本県と言っても最も北で、隣はもう福岡県大牟田市になる。三池炭鉱のレジャー施設的な性格もあった。熊本は馬の生産地でもあり、競馬も盛んで熊本、山鹿、八代などに競馬場があったが、1928年開場の荒尾に集約され、一周1200mの馬場でこじんまりと昔ながらの競馬場運営を行っていた。佐賀競馬(佐賀県鳥栖市)、中津競馬と九州競馬を形成してこれからという時に唐突な中津廃止で出鼻をくじかれ、規模の大きい佐賀が土日開催、荒尾が平日開催で基本行ったが、馬のレベルも低く、中央競馬がどこででも買えるようになると、打撃を受け、結局2011年12月23日廃止となった。最後のレースには皆で集めて12頭を出走させ、所属の12人の騎手が皆出場し、ゴールは涙なしには見られないものとなった。
西日がとても強かったが向こう正面超えると有明海・雲仙で、眺望も日本の競馬場で上位に位置し、食堂の食べ物も東海地区の競馬場と並んで美味であった。
ちんまりした雰囲気は同じく消滅した、アメリカ・ワシントン州のヤキマ競馬場のようであった。あれは山の中の競馬場だが。
廃墟として今もトラックですなあ、という感じで残されており、旧高崎競馬場(群馬)・旧益田競馬場(島根)同様馬券売り場として活用されている。

中津競馬場は宇佐神宮の祭礼競馬と関わる競馬で、最初中津市内の別の場所に作られ、1933年にこの大貞の地で開場した。別府などの競馬場を統合して残され、東九州で、中央競馬の小倉競馬(年3回程度開催)と競馬の孤塁を守っていた。小倉が競輪発祥地であったため、九州においては競輪の方がメジャーであるため苦戦しながら生き残ってきたが、市長の鈴木一郎が突然廃止を打ち出し、補償などもしない、と一方的に宣言して廃止、6月まで開催との約定も守られず、廃止の余韻に浸ることなく2001年3月22日の開催が結果的に最後の開催となった。
これより、全国の競馬場・競輪場が働く人の補償などを適当にして廃止することが慣例化することとなっていった。
中津は一周千m小回りであったので、騎手の技量を要した為、逆に高砂哲二、有馬澄男、杉村一樹、などの巧者が続出することとなった。廃止後人々はばらばらになり、高砂は調教師となっていたが、佐賀へ移籍し(後廃業)、有馬は兵庫へ、杉村は荒尾へ(現在は川崎所属)移籍した。中津の女性騎手小田部雪は乗れる人であり、人気もあり、小田部がいることで、全日本の女性騎手の選手権卑弥呼杯が行われ中津競馬の最も著名な競争となっていたが、これも消滅した。小田部は荒尾に移籍し、杉村と結婚して引退している。
40億円といわれた負債もあり、跡地は荒れたままになっていたがようやく大貞公演、体育館などになり競馬場の存在を感じさせなくなっている。


紀三井寺競馬のファンファーレ
https://www.youtube.com/watch?v=FE5dgEWHJbc
紀三井寺競馬場跡外周
https://www.youtube.com/watch?v=Pw7TdXVN2Do
荒尾競馬最後のレース
https://www.youtube.com/watch?v=_-NMRZ9er2o
荒尾競馬場跡の様子
https://www.youtube.com/watch?v=6dgyxkd0-1c
中津競馬の日本最高齢競走馬テイサウンドのドキュメンタリー
https://www.youtube.com/watch?v=6bstEChFPJM


#この記事は一旦書きあがったのだが、サーバーエラーで最初の原稿があの世行きになり、リライトしたものであるが、最初に書いた原稿ほどの出来ばえにならなかった。最初の流れるように書けた文章を再現できなかったのは私の力量不足である。

[PR]
# by nara-archaeol | 2017-07-24 23:48 | 競馬など馬関係
2009年11月の写真を発見したので、紹介しておきたい。

当時は体を壊して、関東の病院・治療院へ通っていた。

京都から500系のぞみにのって東京駅に着き、発車まで見ていた。

まだ引退は決まってなかった?

ともかく停車位置も他の車両と違ったので対応も違えなくてはならず、それが引退を早めたのは事実だったろう。

発車から4分弱で300kmに達することができる加速度のすごさを味わったことがある。

京都駅で40分遅れ、名古屋で35分遅れであった。で、ええ、これ速いなあ、と思っていたら、かなり静岡で取り返していた。で、新横浜。「ただ今定刻で新横浜を通過しました」で笑ってしまったことは忘れられない。

あれは500系だったのか、覚えていないのだが、台風の中乗ったら、やはり新富士でアウトになり、どこをどう歩いたか線路を歩いたような気がするが、なにやら在来線に乗り換えて静岡へとりあえず行き、泊まったことも覚えている。

ともかく500系の未来っぽさは尋常でなく、東京行、京都行、は必ず500系を選んで乗るのが私の通常であった。

だから700系、N700系はかなり後まで乗ったことがなかった。

今のエヴァ500系こだま一度は乗ってみたいと思っているが実現できていない。

乗りたいなあ。

e0216444_04193545.jpg
e0216444_04190606.jpg
e0216444_04194670.jpg
e0216444_04195306.jpg
e0216444_04200059.jpg




[PR]
# by nara-archaeol | 2017-07-24 04:22 | やじきた道行き

大阪散歩;旧友と大酒

医者へ行かないともう薬無く、遂に思い切る。

天満橋のドクターのところへ行くとドクターの本が積まれていた。

少し後のおカネの事があり、購入せず。

今日は夜飲むから歩くぞで、歩く。

銀行へ寄ってカネのカンフルをし、薬もらいに行く。

e0216444_02473568.jpg

e0216444_02474349.jpg
e0216444_02492211.jpg

e0216444_02492971.jpg
天満橋を渡って、大川を越す。そこから天神橋筋商店街をめざす。

いつもの海苔店へ寄り、少し味付け海苔を購入する。

e0216444_02515616.jpg
フジハラビルを見物。

e0216444_02530864.jpg
天神橋筋商店街の南限。少し行くとふくろうカフェ。薬もらう。

e0216444_02541394.jpg
天神橋筋を北へ上がる。大阪天満宮を経て、国道の大通りへ。

e0216444_02561935.jpg
e0216444_02551542.jpg
少し西へ行っていつものようにスーパー光洋を眺める。もうここに来ると光洋の果物とお肉見るのは定番。

e0216444_02552489.jpg
e0216444_02554426.jpg
e0216444_02555530.jpg
京野菜が鎮座ましましていた。

更に北へ向い、今日はネパールのカレーラーメン、カトマンドウへ。

e0216444_03003738.jpg
今日はグリーンカレーラーメンに挑戦。実に美味。

e0216444_03004613.jpg
e0216444_03005207.jpg
e0216444_03045343.jpg
e0216444_03104521.jpg
       ノーマルなカレーラーメンはこういうの。

食し終えて、せっかくだからこの辺を散策しようと歩きはじめる。
食品の日向を覗いて有機食品などを購入する。

e0216444_03041087.jpg
で、一つ北側の寺町へ出かけ、篠崎小竹、山片蟠桃、緒方洪庵の墓を散策する。

e0216444_03063132.jpg
e0216444_03070104.jpg
e0216444_03073222.jpg
e0216444_03074611.jpg
e0216444_03082438.jpg
e0216444_03083959.jpg
商店街へ戻り、古本屋を眺めた後、西、梅田を目指して歩き出す。

南北の大通りを越すと、大塩平八郎の墓があるお寺。お参りする。

e0216444_03122309.jpg
e0216444_03123029.jpg
e0216444_03123796.jpg
e0216444_03124570.jpg
扇町公園。横に関西TV。

e0216444_03141893.jpg
どんどん梅田へ。インド料理とか、大きな文房具店とか、淀殿の墓と伝えるのがある、大融寺、を眺め、東梅田の外れへ。商店街内のとらのあなへ寄り眺める。

e0216444_03160027.jpg
e0216444_03160891.jpg
e0216444_03162831.jpg
e0216444_03162225.jpg
e0216444_03172274.jpg
e0216444_03173431.jpg
梅田の地下に入って、清風堂書店へ寄ってみる。今も教育書専門部門とか、自費出版部門は一応健在で安心する。

e0216444_03202448.jpg
御堂筋に出て、南へ、南へ、難波目指して歩いてみる。途中どこかで、地下鉄乗るつもりも、結局難波まで歩く。

e0216444_03220455.jpg
淀屋橋。

e0216444_03221262.jpg
心斎橋あたり。

e0216444_03221809.jpg
難波の一番北側あたり。

で、難波の南方にある、BookOffへ探し物を探しに行き、後、昔LPが売ってた店があったあたりを散策してみるも、そういう店は壊滅していた(当たり前だな)。

オタロード方面へ行き、ゲーマーズととらのあなを覗き、何冊か購入する。

で、古い友人に医師Kくんと酒盛りに行く。

e0216444_03263391.jpg
e0216444_03263951.jpg
e0216444_03264540.jpg
e0216444_03265971.jpg
e0216444_03271204.jpg
e0216444_03271993.jpg
e0216444_03272648.jpg
あまりにもシュナイダーの樽生がうまく、二人とも底なしなのがいけなくて、3~4リットル飲み、気づけば、終電車アウトっぽい。

これで無理に動いて遅れたら、落ち込み酷いと諦め、お勘定。

日付変更線超える前に、タクシー捕まえて、難波で下してもらい、ネットカフェへ。

少しは寝たが、酔い覚めるのに朝までかかってしまった。

朝から天王寺まで歩くかと思ったが、体無理で電車に乗って帰った。

鯨飲してしまったものだ。

[PR]
# by nara-archaeol | 2017-07-24 03:32 | つれづれ