考古学・歴史学、趣味の色々な雑文


by nara-archaeol
今目が覚めた。

変な夢を見て、うわわ、となって目が覚めたのだ。

ええ年こいて、高等学校へ入りなおしたのだ。

周りはみんな15歳。

いや、これ同級生というのに無理あるなあ、という状況。

教室を片付けるのに、机とか椅子をバルーン的な何かで一旦天井に上げる。

で、掃除。

元に戻すとき、一つの机を隣の教室から借りてきてるよ、と覚えていたので、隣の教室へ戻しに行く。

何か入学生を迎える春高祭というのが始まろうとしており、変な先輩とかがおり、演劇部の先輩(年齢せいぜい18のを先輩というのか、と自分で突っ込みいれている)と一応仲良くなる。

程度が少しアレな高校へ入ったらしく、ボワーとした女生徒などがいる。

ある教室へ行くと、I谷くんという同級生がいて、おいと声をかけてしまったら、向こうも面食らう。
お前も××の冷や水か、というと、そうやな、と。

で、軽音楽部を覗いてうだくだいい、教室へ戻ったら、やはり同級生のIが(偶然Iイニシャルの奴)教室に鍵をかけて、職員室へ行こうとしている。

すまん、すまん、かばん置いたままやねん、と、鍵開けてもらって、取りに入ろうとするが、教室と廊下の段差が越せなくて、脚が、脚が、上がらない、これ、いうこときかんか、うーむ、若さが憎い、ともがいていると目が覚めたのである。

ああ、なんちゅう訳の分からなさ。

もう一度高校生やってみたいという欲求が深層にあるのか。

何か、夢の中で考えていたのは、学びなおしで、大学へ行く気もないから、楽な学校へ入ろうとした、みたいな動機を考えていたようだ。

実際的にはもう一度学校入るということがあるのなら、大学院へ行って博士号を取る、だろうな。

それが浮きまくるだろう、高校ってな。

教員も年下多いし、こっち舐めまくりだわな。

別に書く予定だけど、ある葬儀に行ったらその喪主が高校の教頭だった、というのが、どこかでつながったんだろうとは思う。後はF先輩の塾のこともつながってるだろうな。

しかし、制服姿、自分でも似合ってなかったと思うよ。

さあ、寝なおそう。

あまり、ある種笑えたんで、人の夢なんて、あれだろうが、書いてみた。

よく考えたら、これって見た目そのままのRelifeだね。

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# by nara-archaeol | 2018-01-17 05:12 | つれづれ

一期一会電話顛末記

正月明けて、少したって落ち着いたので、酒くらいながら、年賀状を眺めて、ああ、ああ、と、合いの手入れながらだんだんと大酒へと転がっていた。

で、えーあの人ないな、とか独り言言っていたのであった。

で、友達に電話しようと思ってしまった。

昔の大学で庶務でお世話になった方から年賀状がなかったので、電話してみる。

すると知らない声が。

で、「私孫なんですが、先ほど遺体で発見されまして」である。

えええ。「そんなん泣くしかないじゃないですか」といって泣く。

昨年3月にも父の従妹が風呂で遺体で発見されたので、一年たたない内に二人目である。

よく聞いてみると、ものすごくたまたままだ部屋にいただけで、この時間逃すと電話はつながらなかったそうである。

そうすると、酒飲んで、ああ、と思わなかったら、別の時間に電話、出ない、また後日電話、するとおそらく「この電話はただいま使われておりません」だった可能性が高い。

で、〇〇さん、連絡つかなくなりましたわ、で終わりだった可能性が非常に高いわけである。

この人は一人暮らしだったので、一年に一、二回元気にされているか、電話をかけていたのである。

最後に電話したのは昨年の秋の始めころで、「いつまでも気にかけてくれてありがとう」というのが、最後の言葉であったし、それがまさしく最後の言葉となってしまった。

で、お孫さん曰く、遺影の写真がないんですが、もってませんか、である。

この人ものすごく写真撮るのがきらいで、退職の際の花束贈呈の際も写真撮らず、退職記念旅行での、三重、松阪・榊原温泉・青山町めぐりの際も写真を撮らなかった。
(この時で忘れがたいのは青山町(現伊賀市)の若戎酒造の酒蔵祭りで特等の鳥型陶器酒瓶入りの吟醸酒が当たったことで、抽選というものに当たったことがない私が当たるというありえなさが未だに信じられない。)

翌年だったかに××さんの退職記念旅行で鳥取・島根へ行った際も写真がないと思われた。

幹事役を果たしていた私が病気になってそういう催しが無くなってしまったのだが、最後になった、大宇陀桜見と大願寺薬膳料理食事会の際に確かに一枚写真を撮ったという記憶がよみがえり、探すことに。

同時並行で、解体されたあの職場の職員に分かる範囲で電話をかけまくるが、行ける人間はおらず、ただ一人現役のものは電話番号不明で連絡つかずに終わる。

翌日倉庫に写真を入れた箱があるとの記憶を元に探しにいったが、見つからない内にお孫さんから電話あり、とりあえず、使える写真あったということで、切り上げて家に戻る。

旧職場代表で私が参列することになる。

おそらく小さく家族葬となるだろうと思い、香料などは用意せず、喪服・数珠のみで出かける。

行くと息子さんが先に亡くなっているので、お孫さん3人と私の4人で葬儀。

悲しいというか寂しいというか、まあこれがあの人らしい葬儀という気がしてきたが、色々と思いは巡る。

式典が終わって、火葬場へ。

本当にお別れですね、と火が入るのを見送る。

折角だからと帰りに元の職場の大学へ行く。

私が一緒に仕事をしたのは二人しかいない。

そして○○さんを知っているのは一人。

ふうーと息を吐いて、昔語りをする。

一時間ほどいて、他の職場へものぞきに行き、友人の某講座講師のところへ。

もう知っているのは、教授6人、准教授3人、講師3人しかいないところに、時間の経過を思い知らされる。

昔の上司(施設長)の教授の教室が解体されたと聞いて、T先生悲しいなあ、生きてたら泣くだろうなあ、と思った。

帰る時に一階まで下りたら学部長に会う。

少し立ち話。

大学本部に戻り、部長の同級生に面会して少し話して、大学を去る。

つくづく室内で血管系疾患で死亡する率は奈良・京都はワースト3を占めており、ワースト10は近畿が占めるという統計を思い起こす。

京都も奈良も昔の日本家屋で寒い。血圧サージというか、そういうのに一番悪い環境である。

中途半端な寒さ対策でいけてしまうのが良くないのだろう。

私のところも本宅の母屋などは一部を除いて遮温が悪い。

父が亡くなる際に建てた車いすで暮らせる建物だけが暮らせるところである。

京都府も奈良県も本気で補助金を出すなどの対応まで視野にいれて、風呂・トイレでの死亡者減を目指すべきだ。

しかし、本当に、なぜあの瞬間に電話したのだろう。

あの瞬間しか、死んだことを知るチャンスは殆どなかった。

知らせてほしかったのだとしか言いようがない。

いつも夏になると夏期休暇を獲って信州へ絵を描きに行っていた。あの安曇野の絵はどうなったろうか。

これが一期一会の電話の顛末である。

〇〇さん、ご冥福をお祈りします。

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# by nara-archaeol | 2018-01-15 00:12 | つれづれ

謹賀新年


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新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

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国宝安楽寺塔婆(長野)

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ヴォーリズの旧豊郷小学校



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# by nara-archaeol | 2018-01-01 00:28 | つれづれ
本年もあと5分くらいになった。

今年は吉村正親さんの遺品整理で、一年終わった。

28日に行って終わらせたかったが、無理で、後2回覚悟に入れている。

ただ今は本が売れる時代ではないので、図書館に粘り強くもらってもらえるように努力し、だめなら、一部は古書店へ、そして当方の本で読みそうにないのを処分して、吉村さんの本を当方で引き取る、ということになろう。

ここのアクセス数が遂に本日15000を突破した。

このような、特に今月は更新しなかったのに見に来てくださった方、ありがとうございました。

来年は更新したいと思います。

本年はおせわになった方々ありがとうございました。

来年もよろしくおねがいします。

とにかく12月、これといったことがあるわけではないのだが、ばたばたしていた。

忘年会にあたるものは3回。

一回目が某ファンクラブ関連、2回目が「京都とプロレス」というイベントからみのもの、3回目がいつもお世話になっていて、こちらもお世話してる方と飲み会、であった。

医者へもいったし。

暑い、寒い、で外で待つは、もう私の体では無理なので、コミックマーケットは当然のごとく不参加、というか東京へ行くお金はないわ。

木曜に吉村さん宅、金曜にお墓参り、土曜に正月飾り、今日日曜、いまごろ年賀状、というある種強行スケジュールである。

コミックマーケット、私天下を狙えると言っていた、エロい界の愛上陸(あいうえおか)は遂に「神」武田弘光の横の壁サークルに出世した。

いや、まだ見る目曇ってなかったんだな、とこれを自信というべきなのか、恥というべきなのか、は分からないが、まあ慧眼だったと思うことにする。

愛上陸の二人頑張って下さい。

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# by nara-archaeol | 2017-12-31 23:58 | つれづれ
<増補>
むかしむかし放浪していた時に、JRAの美浦トレーニングセンターと陸平貝塚を見学に行った折、道の横で確認して、見に行ったのが、この古墳であった。

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この地域には大塚古墳群という、10基以上で(6基は消滅)構成される古墳群があり、その内の一基がこの弁天塚古墳、或いは黒坂命古墳と呼ばれる古墳であった。

円墳で径50m以上の大きなものである。

データ的には、高橋嘉朗氏「美浦村の古墳と古墳群」美浦村史研究.6号,1990、種石悠氏「茨城県稲敷郡美浦村弁天塚古墳の測量調査」茨城県考古学協会誌.18号,2006というものがあるが、それ以上に古墳に関しては参考に付すべき文献がある。

それが、色川三中の「黒坂命墳墓考」であり、土浦の商家の主人で、国学者であった、色川三中(1801-1855)の畢生の江戸時代考古学発掘報告として、考古学史に燦然と輝く業績である。

色川三中については、中井信彦氏「色川三中の研究.学問と思想編・伝記編」の全二冊(塙書房)、それに弟美年と二人で書き続けられた日記「家事志」(1826年5月より、弟の分と合わせて全6巻で土浦市より翻刻販売)、そして、黒船が来た折の事情などをまとめた「片葉雑記-色川三中黒船風聞日記」中井信彦氏編,慶友社,1986がある。

で、この黒坂命墳墓考であるが、この美浦村大塚の堀越家に伝えられている本と奈良県天理大学図書館が所蔵する本が存在しており、四種本があり、天理本はこの4種本、堀越家本は地元への覚え本であると思われる。

黒坂命とは、常陸国風土記に大和から派遣されて従わない茨城のものを平定したと記されている人物で、葬送のこともその記事に見えるので、色川三中はこの辺りに目をつけていたようです。で、1847年12月、この古墳の上にある弁天社を村の不幸を払う目的で新調した際、石棺が発掘されました。色川は現地に飛んで書き上げた調査報告がこの黒坂命墳墓考です。

出土したもの:
石棺
人骨
剣 多数
甲冑

当時では用途不明のもの
(おそらく玉類もあったのではないか)

出土品は現在行方不明

で、色川は色んな史料を駆使して黒坂命の墳墓と考証を行っており、かなりな水準の研究を行っている。

考古学研究或いは、日本好古学の歴史研究で非常に重要な事例なので、思い出したので書いてみました。

いつか黒坂命墳墓考自体も紹介したいと思っています。

<増補>12.19
以下に、高橋嘉朗氏の「美浦村の古墳と古墳群」美浦村史研究.6:pp.28-46,1990のこの古墳の文章を転載して参考にふしたい。

「(1)大塚古墳(弁天塚古墳)
 安中地区に残る美浦村の中では中級の古墳で、近世の弘化四年(1847)中下腹に稲荷社のあったものを墳上の弁天様と同様に墳上に祭祀しようとして掘り出したところ、弁天社の宮脇から石棺が出土して驚いたといわれている。色川三中の黒坂命墳墓考によれば、この塚は多賀郡十王町で病死した黒坂命の墓であると批定している。当時は兵が死する時はその地に葬り、大将死したる時は生地に運ぶ習慣であったので、将である黒坂命は信太の地まで、ひつぎ車で運び、埋葬したのではなかろうか。」

少しまとまりの欠く文であると思うが、昭和63年、平成元年に行われた村史関連の調査の報告として引用しておく。

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# by nara-archaeol | 2017-12-13 01:38 | 考古学関係(日本史含む)