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考古学・歴史学、趣味の色々な雑文


by nara-archaeol

大阪福島・関西将棋会館訪問記 りゅうおうのおしごとの舞台

天神橋、日本橋、難波をめぐった後、そうだ、福島行こう、将棋会館、と思い立ち、梅田に戻り、環状線一駅で福島へ。

福島駅には環状線と新大阪へ行く貨物線(関西空港、和歌山への特急が通る)、があり、更にJR駅の南の地下に、阪神本線、その南にJR東西線の新福島駅があり、一種の交通の要衝で、更になにわ筋新線が予定されていて、JR関西線難波、南海高野線汐見橋?、阪急が乗り入れることが計画されている。

大阪市の北側の下町的存在は、福島・野田、と、、十三(じゅうそう)であり、幾多の食品スーパーなどが点在し、安価な食堂街などが広がっている。

りゅうおうのおしごとでは、福島に住む主人公と少し離れた所(野田地区?)に住む師匠、がよく出てきて、この地域を舞台にする珍しい小説となっている。

さて福島に着いて改札を出る。

以前ここにあったオーガスタクリニックに受診していたので、多少の土地勘はあったが、関西将棋会館へ行ったことはなく、あの辺にあったよな、で、駅前のなにわ筋をとりあえず渡り、北へ向かって歩く。

松坂牛の肉料理で有名な店を通り過ぎ、しばらく行き、気が付くと前に着いていた。

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夜叉神天衣が「ビルの壁にあんな下品な字を貼り付けるなんて普通はしないでしょ」という「将棋会館」という金属文字が胴体にどーんと輝いていた。

関西将棋会館と書かれた入口に、駒をあしらった立看があり、1F~5Fの案内がされている。

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入口横にレストランスペースがあり、そこが、作品内で紹介されているレストランイレブン。

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一般が入れるのは確か2Fまでだと思ったので、そこまでを見物しようと入る。

入ってすぐ右が売店。左手がレストランイレブンとイタリアンのサーレアンドペペ。

エントランスに将棋盤などが陳列されており、おそらく予約だろうが、売られている。

価格はおそろしいものがあった。

売店に入ってみる。

将棋の本と、棋士の扇子が並べられていた。

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私は囲碁派の人なので、将棋の戦法にはものすごく疎くなっているので、ゴキゲン中飛車とか、超速という言葉の意味が分からないのだが、それらの解説本とか、棋譜、詰将棋、など多彩な本が置かれていたが、さすがに「りゅうおうのおしごと」はなかった。当たり前か。

将棋世界のバックナンバーをいくつか見る。

振り返ると、大阪商業大学アミューズメント産業研究所の研究叢書16、
「将棋類の伝播に関する研究」の見本が置かれていたので、これをじっくり見る。

話をそらすが、十年くらい前まではこの建物の4階に世界で唯一の将棋博物館があって、木村義雄永世名人の将棋盤とか、色んなものが展示されていたのである。
手狭を理由に閉館となったのだが、それは今この大阪商業大学アミューズメント産業
研究所の展示施設になっているのである。

これは買いだと思う。

遺跡から出土した将棋駒の集成の作成に協力したことがあり、興味があるからである。

奈良市の興福寺の旧境内から平安時代の将棋駒が出土しており、これが一応国内最古。

逆をいえば、平安時代から形を変えながら今まで遊び続けられてきたと云う事だ。

技術解説書を買っても使うことはないだろうし、と結局かなり迷ったものの何も買わずに出る。

エントランスの将棋盤をもう一度鑑賞して、警備員詰所の前を通って2階へ上がる。

2階は関西将棋道場で、平日であるが、そこそこ人が来て将棋を指していた。
土日とかにこども教室がある。

ここはプロ棋士が指導してくれて、プロとアマの敷居が低いことで有名である。

しかし元々関西棋士は敷居低くしてくれる人々である。

現在の関西棋士のトップは谷川永世名人である。日本将棋連盟会長だ。

りゅうおうのおしごとでも連盟会長は関西所属にしているのはこれにならっているのだろう。

関西棋士の代表は坂田三吉(阪田とも書く)と木見金治郎であろう。

坂田三吉は伝説上の人物で、史上最強棋士といわれる天野宗歩の弟子の和歌山出身の
小林東伯斎(関西名人を自称して坂田三吉はこれを襲名したと自称した)の弟子になり、
谷川は坂田の曾孫弟子になる。

木見金治郎は岡山県倉敷の出身であり、東京へ行って関根金次郎名人に一ひねりされて大阪に戻って精進を続け、大阪将棋界を盛り立て、将棋連盟設立に参加した。
弟子に升田幸三、大山康晴があり、大山は関西将棋界の悲願、名人の箱根越えを実現した。
なお大山も岡山県倉敷の出で、女流の倉敷藤花位は大山によるため「倉敷」なのである。

関西将棋会館はその大山康晴が先導して、1981年に落成した。

なお、余談だが、りゅうおうのおしごとの登場人物の名前は地名から取られているのが多い。

指導してくれる久留野義経七段はおそらく奈良県五條市久留野町(くるの)から取ったのだろう。
東京ジャイアンツの岡本和真の出身地。

生石充玉将は和歌山県の生石(おいし)高原から取ったのだろうと推測できる。

九頭竜は福井、清滝は京都、月夜見坂は奥多摩、夜叉神は山梨、といったところ。
(白鳥さん本人にお聞きしたら峠名から取ったということだ)

まあ、いろいろ脱線したが、道場の雰囲気を覗いて、一階におりて、警備員の方に
頭をさげて、エントランスのポスター類を見ていると、20代の男性が入ってきた。
一目で棋士と分かるタイプ。

棋士の顔と名前をほとんど知らない私はそれが誰かは分からなかったが、警備員と
親しく話し始めたので、間違いなく棋士だ。

眼光というか、雰囲気というか、で分かる種族なのだろうな。

レストランイレブンで店開くまで待って食事というのも考えないでもなかったが、また別の機会とあきらめて、外へ出て、外観写真を撮って辞す。

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               レストランイレブンの珍豚娘

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               レストランイレブンのダイナマイト


これも聖地巡礼か。ともかく近くにありながら行ったことがなかった場所に行けた。
りゅうおうのおしごとがなければ、一生行くことがなかったかもしれない。
本との出会いに感謝。

福島地区に関しては本ブログに福島散歩として5回にわけてのせていますので、参照してください。
大阪・福島散歩(1)
http://naraarchae.exblog.jp/24755922/
大阪・福島散歩(2)
http://naraarchae.exblog.jp/24755939/
大阪・福島散歩(3)
http://naraarchae.exblog.jp/24755965/
大阪・福島散歩(4)
http://naraarchae.exblog.jp/24755999/
大阪・福島散歩(5)
http://naraarchae.exblog.jp/24756024/

by nara-archaeol | 2016-10-14 23:48 | やじきた道行き