仙台の牛タンのこと
2017年 06月 25日
盛岡冷麺の話を書いていて東北の食べ物のことが連想され、それは、前沢牛と仙台牛タンに収斂された。
で、仙台牛タン&テールスープ。
仙台牛タン焼きの系譜のお店は、東京・大阪にも存するので、皆食べたことがあろうと思う。
仙台の牛タンといえば、味太助に始まるのだと思われる。
戦後食べるものがなかった時、味太助の佐野啓四郎さんが牛タン集めに奔走して、確立したのがそれである。
Wake Up Girls の勾当台公園から近い、一番町に構え、近くも牛タン屋だらけであり、如何に仙台で牛タン焼きが隆盛を誇っていることがよくわかる。
私が食べたのは、味太助、喜助、旨味太助、伊達の牛タン本舗、であろう。
他にも投げて捨てるほど店はあり、盛岡冷麺同様であるようだ。
東京では、喜助、利休、伊達の牛タン本舗などが支店を構え、そして、これに影響を受けて、例えば、六本木の一徹とか、新宿のねぎし、中目黒の赤べこ、などが林立しており、容易に食することができる。
なんといってもねぎしは都内・横浜などに40店舗以上を有し、牛タンといえばねぎし、というイメージを東京では醸し出して、いる。ねぎしは1981年に新宿歌舞伎町でスタートしている。
名古屋の状況はよくは知らないが、喜助が支店を出しており、栄のあっかんべえ、金山のべろ助とかがあったと思う。
大阪では、大阪駅前第一ビルの伊達屋、第二ビルの和助などが著名であったが、和助は大将が体を壊して廃業、伊達屋も代替わりした。スカイビルのたんや舌もあり、また利休・喜助の仙台組が梅田に進出して来、特に梅田地区ではタンはメジャーとなっている。
利休はあべのハルカスにも店がある。
福島の牛タン べこ串・福島にし屋、日本橋(にっぽんばしと発音する)の牛タンJyuJyu、たんや又兵衛といった選択肢もあり、大阪でも牛タンは市民権を得ているといえる。
夜中に書くことと違う。
ああ、おなかがすいてきてしまった。