思考の彼方:Samocaカメラ (サモカ;三栄産業)のこと
2017年 08月 16日
友達の医師に聞いたらそれ室内熱中症だから、適度にエアコン効かせて水のめ、といわれたので、水呑み百姓やっていると、頭痛ひどいし、肩こりみたいなのがひどく、しかも歯肉炎みたいに口の中も痛い、という三重苦である。
で、小さいカメラのことを思い出し、新宿区に縁のあったところだよね、までは思い出せるのだが、どうしても社名とカメラブランドが思い出せない。
1950年代 日本 カメラ などとキーワードを入れて検索するも出てこない。
トイカメラでは違うし。
で、色々やっていたら思い出した、三光でもないし、で、三栄。
ebayさまのおかげでみつけることができた。
へんなもので、名前を思い出したら、次々に思い出せたので、以下にノートとしてサモカのことをまとめておきたい。
サモカシリーズは、理化学研究所の光学会社、理研光学(⇒リコー)にいた、坂田秀雄(囲碁の本因坊坂田栄男とは違う当然だが)という技術者が1950年ころ東京日本橋で創業した三栄産業の製品である。
なんか昔聞いた噂では、新宿区左門町から取ってサモカだと聞いたのだが、真偽は不明である。
最初はカメラを作っておらず、露出計を製造していたという。
で、露出計くらいではもうけもしれているので、禁断のカメラ本体に出をだし、1952年に当時驚異的な5千円ちょいのサモカ35をリリースした。大丈夫かこれ。
距離目測、レンズはトリプレットの(まあそれしか安く作れんわな)エズマー50mm、F3.5、可もなく不可もないカメラだ。
翌1953年これをリファイン、フラッシュのアクセサリーシューを付けたサモカ35Ⅱをリリース。
スーパーサモカ35を知人から分けてもらった時、何じゃこりゃ、ツァイスのブルズアイの劣化版か、と思ったのは忘れられない。
で、コンタレックスの通称ブルズアイ
なおサモカ35Ⅳは珍しい機体のようで、私も見た事がないのである。
距離計付(レンジファインダー)機に軸足を移した、サモカカメラ(多分1955年前後に改称したと思う)は、レンズを明るいF2.8にした、サモカ28RFとF3.5のサモカ35RFの二本立てで主にアメリカで売った。ボディーは金属製に見える合成樹脂製でおそらく現在使用しようとすれば光線漏れが怖いので、基本このカメラは機械として鑑賞するのがよいと思う。ISO800以上はまず使えないだろう。NeopanFとかでケースに入れて撮るならいけるとは思うが。
1957年にはアクセサリーシューをX接点対応としたのだろう、Xと型番に入れた、サモカ28Xと35Xをリリースした。
レンジファインダーシリーズはこの後、LE、LD、LEⅡ、と進化したが、各社がライカ型ながら安価なレンズシャッター機へ参入して来、規模の小さいサモカはだんだんと苦境に陥っていく。レンズシャッター最大手のアイレス写真機も倒産するという時代となるのだ。
1961年に最後の製品となる、F2.8のサモカ35M28とF3.5のサモカ35MRをリリースしたが、これでジ・エンド。キヤノンに救済を求め、最終的にキヤノンの子会社となり、キヤノン精工、キヤノン化成、となり、今日も残っている。ただ坂田はこの業績悪化の中で自決した。画像工学の東大小倉磐夫は坂田に月一万円の奨学金をもらっていたというから、坂田の死も無駄ではなかったのかもしれない。
チープながら強烈な自己主張を感じたメーカーだった。製品群に今後も語っていってもらいたい。
ただこれを処分したことがあるのだが、色々不具合を言われ、返金になったことがある。これはがたがたしてるのが、正常であり、そういうたぐいを気にする人は手を出すな、その一言だ。この間も1950年ころの製品を売ったら、汚いだのなんだの言われたが、70年近く経過した製品に何を求めているのだろうか。私には理解できぬ感覚だ。