昔よく一週間前に行われる「中日新聞社」の「全国選抜長良川中日花火大会」か、これの、どちらかに行っていた。あれは多分2週間で70万人以上が来、10万発くらいあげるのだ。
これらは花火所の東海地区の花火大会なので、「新作」花火の披露目とかもあり、楽しみであった。
帰りに、木曽川沿いを夜中に車で走り、八開村とか立田村とかで、夜中の蓮見物をしたものだった。
岐阜新聞は中日新聞を向うに回し、読売・朝日を迎撃する、という「しんどい」立場で、多分実売は10万部を割り込みかけているのではないだろうか。
スマホの普及による電子媒体との対決も辛いものがあっただろう。なにせ一年に70~80万部全国で新聞の部数が減る時代である。実際はもっと減っていると思う。販売店に押し付けてる部数がカウントされているので。
夕刊はものすごく購買者が減っていたのだという。それはそうだろう。読売とか朝日という連中すら、夕刊購読者は減っていっている。
正直9版とか10版で十分であり、12版とか13版で、夕刊も、などというのはもう国民の10%もいないのではないだろうか。
とはいうものの岐阜新聞夕刊の朝刊統合というニュースを聞いてしまうと寂しいというのも実感である。
実は何日か遅れとなるが、岐阜新聞を半年くらい郵送で取ったことがある。
東愛知新聞というのも買っていたことがあった。
不思議に中日新聞は駅売り以外やったことがなかった。ただJR奈良駅には中日新聞と中日スポーツが売られていたのだ、昔。今は知らん。
中日スポーツは名古屋競馬と笠松競馬の大きいレースがある時買っていたのだった。これは余談。
岐阜新聞は先に上げた岐阜市の花火大会や、岐阜県内各地の花火大会の主催、或いは後援を行っており、岐阜放送もやっている総合メディアである。
今年の長良川の全国花火大会は第72回、織田信長岐阜入城・岐阜命名450年記念として行われた。そういう節目の廃刊である。まあいい記念?なのか。
この花火、岐阜城のある山から見下ろすと見事、につきる。
2013年に社長のイスをめぐる暗闘が表面化したのを覚えている。
1881年7月創刊、岐阜日日新聞と称した。
WWⅡの新聞統制で、強制的に一県一紙となり、飛騨毎日新聞(だったっけ)とか、美濃なんとか新聞、とかと合併となり、岐阜合同新聞(だったと思う)になり、戦後、アメリカナイズして、岐阜タイムスとなった、と記憶する。で、もう一度岐阜日日新聞に戻り、平成になるころ岐阜新聞となった。日刊の新聞は多分今も岐阜県ではこれだけだと思う。
まあ、北海道の北海道新聞、東北の河北新報、中部の中日新聞、九州の西日本新聞といった、強烈なのを除くと、皆きついだろうと思う。
私が一度でも目を通したのは東海地区では、東愛知新聞、三河新報、伊勢新聞、中部経済新聞、東海日日新聞、夕刊三重、くらいかと思うのだが、どれも夕刊を出す体力はない。
逆をいえばよく夕刊を続けてきたとは思う。
ただこれが引き金になって各地の地方紙の夕刊消滅へ向かう魁とならないか、とは思わなくもない。
まあともかくがんばれ岐阜新聞。面白いニュース教えてください。
ああ、長良川鉄道が、ヤマト運輸と提携して、荷物を運ぶニュースは面白かったです。
わたしらん地域から山ひとつで、三重県松阪地域なので、夕刊三重はある種身近なニュースを教えてくれるので面白いです、個人的には。
奈良県南部ってそういうところなんですよ。
岐阜新聞のWeb
http://www.gifu-np.co.jp/
参考;
東愛知新聞
http://www.higashiaichi.co.jp/
三河新報
http://www.katch.ne.jp/~shinpo/index.html
伊勢新聞
http://www.isenp.co.jp/
夕刊三重
http://www.yukanmie.com/
ちなみに奈良県のは、
奈良新聞(考古学というTAGがあるのがすごい)
http://www.nara-np.co.jp/
その別働隊-奈良日日新聞(週刊誌)
http://www.naranichi.co.jp/
この二つの新聞社の関係がまたややこしい。いつか書きます。
実は奈良県は新聞発行では日本でも早い段階に登場したところです。明治5年(1872)5月に「日新記聞」なる月3回刊のものが登場しています。1864年のジョセフ・ヒコの海外新聞には当然負けますが、立派な物だと言えますが、この後どれもこれも経営が持たず、奈良県民の人より抜きんでると嫌がられる面が出て、つぶれて行った、という感じです。まあよく福井謙一のようなノーベル賞取れる人が出たもんだ、と感心します。
まあともかくたまには岐阜新聞のWEBみてやろうと思いました。