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考古学・歴史学、趣味の色々な雑文


by nara-archaeol

5万越してるじゃん

Twitterのような短いのしか書けなくなり、ここを放置していたが、過日Twitterでここの記事を引用し、URLを晒したので、どうなっているのか見に来た。ユーザーIDもPWDも忘れてて、ログインするのに苦労したが、何とか入れた。
アクセスレポート見たら5万超えしてて最後に見た時は3万に足りなかったと思うので、まあよくも見てもらえてたもんだ。
近況と以前書きかけて書けず放置の三重弁の書く必要がある。
後Twitterでは短いのを積上げて書いてるのを、一つの文章としてリテイクすべきなのも。
ただ今日は身体中痛くて、夕方まででできたのは洗濯物取入れだけ。身体に鞭打って注文受けたノートパソコンの仕上げ、今やってるWindows10、21h2へのアップデート終えたら、オフィスインストールで終了。何とか締切に間にあった。
LenovoのThinkPad。i7、HD1TB、RAM9GBという構成だ。
最初用意したDynabookは冷却に問題あって熱暴走で落ちる。
あれを治す事も一瞬考えたが、又熱暴走で落ちたら信用無くすので、小さいサイズだが、納められそうなノートはThinkPadかHPのしかなく、HPのはキーボードの劣化が酷く取り替える必要ありで、すぐに出せるのがThinkPad一択だった。ともかく明日には出荷可。
後は修理頼まれた富士通の一体型で、HDはすでに入れ替えてるので、OSインストール、アップデート、基本的ツールソフトインストールで戻す予定。首から腰まで全部痛い。
しかも頭痛も辛い。オフィスインストールは明朝やるか。
正直疲れ果てた。
言い訳でない文章、次は書きたい。
# by nara-archaeol | 2022-04-29 00:23 | つれづれ

播磨散策 その1

 コロナ騒動と言うべきか、人間VSウイルス戦争と言うべきか、いささか思うところもあるが、この結果少なくとも私が細々ながら続けてきた、歴史の勉強会が吹っ飛んだ事は事実で、中世は知らぬが、少なくとも近現代で初めての事であろう。スペイン風邪やソ連風邪の際も外出制限などという坑ウイルス施策は国際的に取られた事はなかったから、人類史上初めての事態を私たちは経験するという貴重な証人となった、本意でなくとも。 私は昨年梅雨辺りから謹慎状態からくる一種の引きこもりの結果、昼夜逆転、外が明るくなるまで眠ることができず、8月ようやく天満橋の主治医のクリニックに行くまで、不眠症との戦いをする羽目となっていました。主治医が薬を変えてくれた結果眠れるようにはなったのですが、代わりに食欲を失い、週の半分は絶食、しかもそれが全く苦にならないという重症度で、13キロ近く痩身するという事態で、意識的ダイエットでやせたのではないので、困った事になったという感想以外なかった。


 で、本論に入っていきたい。 兵庫県の凄いのは、まず、日本で唯一、日本海と太平洋(瀬戸内海ですが)の両面に面していること、それに江戸時代までの区分で行くと、例えば奈良県だと、紀伊や伊賀であった時が一時的にあった場所を細かくみるとあることはありますが、基本は大和の国一国で成り立っています。和歌山県は普通には紀伊一国と思われていますが、実は東の北牟婁郡、南牟婁郡の2郡を三重県に渡しており、紀伊全部が和歌山県となった訳ではありません。


 兵庫県の凄いのは、この形成してる国の数です。伊丹市や尼崎市が属した摂津(神戸市は西方が播磨なので全域摂津ではありません)、そして姫路・加古川・明石を主とする播磨、篠山や三田等の丹波南部(丹波の大半は福知山・亀岡など京都府です)、そして豊岡を中心とする但馬、淡路島全域の淡路、そしてここは忘れがちですが、赤穂西方の、元は岡山県でありましたが、兵庫県側からしか行けないので、住民運動して兵庫県に編入となった、備前の国の本当に一部、からなるという異様さです。


 この文では、その播磨の数か所を紹介して、播磨の特徴というか、兵庫県に住んでいないものが感じた、兵庫県西部の印象のようなものを披瀝し、歴史の見方の一端を示して、歴史というものは何か、という事を考える機会としたいと思います。


 歴史を時間の流れを解明する学問と考えれば、ビッグバン以降宇宙が形成されていく、天体物理学や、地球史を対象とする地学も歴史学を構成するものと考えられますし、医学は根拠を必要とはしますが、病気治癒の歴史学であるといえなくもありません。極端に言えばこの薬飲ませたら治るという事を歴史的に位置づける学問という一面があると。


 さて北方の山岳地帯に入るかの辺りまでと、明石市や神戸市西区などの東播磨を含め、播磨は結構広い。


 少なくとも大阪府を形成する、河内の国、和泉の国、香川県を形成する讃岐の国よりも大きいので、一国ですが、地域地域の違いが存在します。


 また微妙に京都から近く、しかも南部は陸路の山陽道、そして瀬戸内海の航路の拠点となりました。


 明治以降、海外との交易が主となり神戸がそうした港湾の中心となるまで、例えば西播磨の室津は瀬戸内海航路の一大拠点でした。古代の遣唐使などの拠点であり、中世も交易、あるいは荒天の避難所、風待ちの立ち寄り所として、更に江戸時代には北海道から日本海、関門海峡から瀬戸内航路へという北前船(きたまえせん)、朝鮮通信使、参勤交代大名の寄港地として発展し続けましたが、これらが全て無くなっていく、明治期からただの漁港へ落ちぶれていったと表現するよりない町となっていきました。


 室津に近いですが、赤穂市の坂越(さこし)も赤穂藩の港湾として重要な位置を占めます。赤穂の塩田で作られる塩は赤穂藩の重要な生産物であり、交易品であったためです。


 話を変えますと、近世に檀家制度という縛りができるまで仏教を中心とする宗教勢力も武士と並ぶ重要な要素でした。


 播磨に絞れば、西国三十三所観音巡礼の、清水寺、一乗寺、円教寺、の他、法隆寺や東大寺の荘園があった為、法隆寺関連の加古川の鶴林寺、姫路近郊の斑鳩寺、東大寺関連の小野市の浄土寺、加東郡の朝光寺、などの名刹は数限りなく存在します。


 この文章では港湾都市として、室津、坂越、仏教寺院として、浄土寺を取り上げて、紹介と解説を行い、歴史の見方、面白さを読み取っていただければと思います。



1)たつの市・室津


 近年の合併でたつの市となった室津。万葉集のような歌集にも収録される播磨随一の港湾です。

 結果、おびただしい歴史的人物の逸話を残す町となりましたが、北前船の後継の交易船が帆船から切り替わり、また大名の参勤交代が廃止されると寂れ、なんと一つの町に7つもの本陣を要するという東海道や中山道でもないような宿としての格を誇ったこの町を崩壊させました。


 今は牡蠣の養殖に、瀬戸内海の漁業で暮らす、普通の漁村となりました。


 ただ昭和後期までは、江戸時代からの街並みが残る事で、一部の建築研究者の注目を浴び、現在の伝統的建造物群という顕彰の先駆的研究が行われた場所となりましたが、まだ街並み保存という考えが定着する以前であったが為、牡蠣などで収入が確保できた結果江戸期からの街並みの家が一軒消え、二軒消え、して、後で述べる、坂越に比べ、昭和中期以前の家が殆どないという事態となったのは惜しいことでした。


 行くのも衰退を象徴するかの如く、山陽電鉄の網干から平日に至っては1.5往復のバスがあるだけとなっています。


 室津と室の字を使うだけあり、U字の退避しやすい湾構造です。


 私が最初に室津の名前を知ったのは、上本町から布施の間のどこかの駅で、司馬遼太郎さんにあったら、街道をゆく、で室津へ行くか、行ったというお話を聞いた時で、いつか行ける日が、と思っていましたら、ようやく姫路の子供の所へ行く機会にレンタカー借りて行けました。


 資料館として、室津海駅館、室津民俗館があり、古い建物が立ち並ぶ、例えば岡山県の吹屋のような街並み散歩では満足感が得られるとは言えませんが、それなりの楽しみが得られます。


 一度は見に行かれる事をおすすめします。



2)坂越(赤穂市)


 ここはかすかに名前のみ知っていた所で、この4月、姫路駅でパンフレットもらって詳細を知り、電車で訪問しました。JRで行けるので、室津に比べると圧倒的に訪問しやすいと言い切れます。


 で、息子と二人、赤穂線の坂越駅から歩いて約15分、昭和中期以前の建物が立ち並ぶ、美しい街並みに入ります。このため、坂越は日本遺産指定となっています。


 行きました折は緊急事態宣言下でしたので、資料館等はすべて閉館。したがって細かい歴史は知りえませんでしたが、詳しく知りたければ、ネットでだいたいの情報を得ることが可能です。


 ともかく美しい街で、私が見たナンバーワンは岡山県吹屋、ついで、福島県大内ですが、それに次ぐものと思います。奈良県今井町、奈良町は別格として、奈良の五條本町・新町は文化財の数では圧倒的ですが、1970年代まで商店街として機能していた為統一感に欠けるので、坂越に負けてるというのが、感想でした。


 播磨を長く支配した赤松氏の一部は護良親王の下で鎌倉幕府と対決した歴史を持つ為、一族内に親南朝勢力があった為か、横道入った所に、南朝最後の天皇、後亀山の子供、小倉宮の墓と伝えられる、時代があわない石造物ですが、存在するのが興味深い、という感想を述べておきます。



3)浄土寺(小野市浄谷)


 ここへは何度も行っているので、感想、日本随一の国宝の一つ、の一言に尽きます。

 同じ形式を持つ建物で残っているのは奈良・東大寺の南大門のみ、という貴重さを誇ります。


 平清盛の子、重衡(しげひら)が南都勢力(軍事力を持っていた興福寺・東大寺等)と合戦に及び、その際軍事的優位を得る為に放火した為、両寺院は幾つかの建物を残すのみの焼け野原となりました。


 尚、重衡は後に逮捕され、東大寺・興福寺の手で京都府木津川市で死罪となっています。


 結果天皇家の寺である東大寺は天皇家の分家である源頼朝がスポンサーに、藤原一族の寺である興福寺は藤原氏の血を引くとされる人々によって再建される事となり、東大寺には造営費用として、伊賀国、播磨国、周防国(山口県南部)からの税金や木材が与えられ、再建代表者の重源上人が指揮を執り、伊賀別所(伊賀市大山田の新大仏寺)、播磨別所(浄土寺)、周防別所(阿弥陀寺、廃仏毀釈で廃寺)などの勘定所兼ねた寺院が建てられましたが、現在まで残ったのは、この浄土寺の国宝・浄土堂のみです。


 なお、この時再建された、東大寺・興福寺の建物の殆どは、戦国期、主家細川家にとって変わった、三好家と成りあがった松永久秀軍の戦闘で焼け、現在の大仏殿は江戸時代、天皇家の血を引くと主張した徳川将軍家の綱吉が主体となって再建したものです。


 浄土堂内には快慶作の7m位の阿弥陀三尊(立像形式)が納められ、日が西に沈む頃になると光の取り込みと反射を利用した、赤く極楽を思わせる仏像の見せ方がなされるという良く計算された建造物です。


 浄土堂と向かい合った所に阿弥陀=西に対峙する、東の仏、薬師如来をまつる薬師堂が配置されていますが、薬師堂は再建建物で、非公開なので、外観を見るのみとなります。


 少し交通の便が悪いのが難点ですが、加東市の朝光寺本堂(国宝)、加西市の法華山一乗寺の兵庫県最古の建造物、古法華の白鳳~奈良の石仏、同じ市内のやはり奈良時代と思われる石仏や、ユーモラスな北条の石仏など見どころ多いので、うまく組み合わせて同県内ですが、一泊二日位で回られる事をお勧めします。


 加古川市の鶴林寺太子堂も国宝で、これに、江戸時代からの川の交易を物語る、滝野の闘龍灘なども見ていただきたいと思います。




付)赤穂市立有年考古館


 私が歴史に興味を持ち始めたのは小学校4年生の頃でしたが、初めて考古学の報告書らしきものを見たのは1970年前後の、播磨西部の考古学の大立者、松岡秀夫氏(19041985)の二冊の報告書でした。京都の綜芸舎が発行していました。


 この本で、赤穂の北、多分赤穂郡有年村→赤穂郡上郡町→赤穂市、と変遷した、有年(JRの駅あり)で尊敬していた兄の眼科医が突然死去し、兄の後を継いで松岡眼科病院を続けながら、趣味の考古学・歴史学研究を続け、川西市加茂の宮川雄逸氏の私的博物館、宮川石器館(1936)に続く兵庫県内の私立の考古系博物館、有年考古館を1950年に開館している。2011年赤穂市に施設が寄付され、赤穂市立有年考古館となった。


 最初に見た松岡氏の報告書は、兵庫県上郡町別名出土の銅剣(有年考古館・綜芸舎、1969.07)で、入場無料のこの館の展示室入った所にこの剣が展示されており、また復元品も別に展示されている。


 松岡氏の報告書で最も著名と思われるのは、兵庫県赤穂郡西野山第三号墳(有年考古館、1952.10)で三角縁神獣鏡が出土した古墳として知られる。これも同古墳の他の遺物と共に最初の展示室にあり、同じく復元品も別に展示されている。


 尚、岡山県津山付近に多い、陶棺(古墳で遺体を収めるもの)に類似したものがこの辺りにはあったらしく、展示されているのが興味深かった。




写真は後日添付します。

# by nara-archaeol | 2021-07-11 15:10 | 考古学関係(日本史含む)

落ちると言ったら落ちる

指定難病、パーキンソン病の進行が思ったより早い。

先日大阪市内で、歩道で大いに倒れ、四肢全てに傷が出来、シャワー浴びるのすら、痛みとの果てしない戦いの場になり、不潔だが、浴びるのが阿鼻叫かんとなっては夏でなかっただけが幸いというしかない。

どうやら3~5年で車いす、10年くらいで死去、というのが根本治療確立できなかった場合の経過となるようだ。

漠然と死をとらえてきたが、期限が発生したら、さすがに身近。

傷ふさがってきたら再び倒れ、ふさがりかけたところを強打、更にシャワーが遠のく。

最近医者行くと疲れで、新今宮の千円台のホテルで寝て、翌日日本橋のオタクショップとPC屋行って帰るというのが常態化してきた。

すごいのは我が家族。一晩いなくてもほぼ気づかない。

食事から締め出され、一人ぽつねんと食事とって一度も顔合わさないようにしてるので、いくとこまでいったなって感じなのだ。

もう私には池の草刈りなんていけないのだが、当然の如く、あんたの役割みたいに押し付けてくる。

行くと草刈り機パーキンソン病の加減で危険で使えないので、ぽつねんとフェンスについた蔦採りしてるが、草刈り機組からの視線が辛い。

いく度のストレスはPTSDになりそうなくらいきつい。

正直死も見えたし、体も不調、検査主体だが入退院繰り返し、そのたびに食費に使える金が無くなる。

この間帰宅したら26円しかなく、それで13日過ごしたが、冷凍庫にあった賞味期限切れ食べたの三回、残りの10日は7時になったら睡眠薬飲んで絶食。

これもきつかった。最近食思不振症といってるが、結局食費に回せる金がない→食べることができない→体が絶食になれる、という悪循環の結果だろう。

医療費も食費も家族は私から取り上げた金は私らのもの、で、困ってても一円も出してくれない。

一度だけ土下座に近い形で頼んだら「貸して」くれた。

元は私稼いだ金じゃん、なぜ私には返済義務が生じるのかわからん。

自分たちが処理できない時だけ「家族じゃないか」と言われて、思わず「こういう関係は家族とは言わない」と言ったが、そうではないか。

誰も私の病状に関心がない。

私が余命宣告同然の事を言われてるが、誰も知らないし、聞いてくるのもいない。

要するにここはシェアハウスなのだ。

もう家族と勝手に思ってる連中は一切頼りにしない。

下が就職決まったら、離婚調停はじめて自由になってあいつらのいないところで静かに死を迎えたい。

# by nara-archaeol | 2021-03-17 05:51 | 逃避行動
10月以来の投稿である。

とにかく仕事辞めて障害者になってからでは、精神的には最低だった。

そんな中で遺作になる可能性すらある雑文でも岐阜県の地域誌に提出できた。

昨年は最悪とは向うから迷惑だから友人関係辞める2件、こちらから貴方とは付き合えない1件、死亡2件、計5人の友人を失った。

そこへPTSDになる発言を配偶者から2件受け、結果不眠症、そして食思不振症(拒食症)へと事態悪化、夏には絶対やらないと思ってきた自殺未遂をやった。

PTSD発言の一つ目は、「あんたが趣味に興じるということは許されない事。貴方は私らの生活費作るのを目的にしろ」
二つ目は「譲渡税払っても良いから財産全部寄こせ」
だった。

パーキンソン病発覚以降大阪梅田の事務所も閉じ、まさに閑居となった私の精神的健康維持は趣味があったからで、それを辞めるとは私の健康も含めどうでもよく、金の卵を産む鳥になれ、だから、これはこたえた。
そこへ財産全部寄こせ、だ。
私の障害年金、太陽光発電所、他の土地の賃借料、年金は多少手元に残るが、以外は全て配偶者に取り上げられ、太陽光発電所作った時に色々起こって友人60万円借り、私もほぼ虎の子の最期に手元に残ってた50万円の内約45万円をはきだして、無一文に近い状態となってたので、軌道に乗ったら45万円返してくれ、それを条件に太陽光発電所のお金を配偶者に渡したというか脅迫受けて渡さざるをえなかったというか。
で、昨春の確定申告の際通帳無いと確定申告できないからと通帳などを出させたら、私の45万円は少なくとも全額返済できる残額があった。

ここから収益出来たら45万円返していく約束だっただろう、というと知らんというので、発電システムの計算をまとめてるノートを出して、これが一年目の赤字額、これが二年目の赤字額、これ説明したよね、と言い放った。
せめてもの反撃である。でようやく5万円のみ返済だが道は遠いとしかいいようがなかった。

だいたい配偶者とは言っても私の中では婚姻関係は消滅している、あのパワハラ辞職に至る間、配偶者はパワハラ側について家庭内ハラスメントをやり、更に虫の居所が悪かったのだろうが、やってはいけないDVを行ったのだ。

多分午前11時前後だったと思うが、当時は鬱症状ひどく布団から出るのは医者、食事、トイレ、風呂、位に成り下がっていた。

酷く顔つき悪く入ってきて、私の気分的には30分位殴る蹴るの暴行を受けた。

最初の蹴りで左の下から三番目の肋骨が折れてて立ち上がれない状態で、なぜやりかやさなかったという友人もいるが、あれもう少し悪い角度に折れてたら肺か心臓にささり、死んでたらしい。だから蹴ってくる足を止めようとするくらいしか抵抗できなかったというのが真相で、やり返せ、とかいう連中、お前らも肋骨折られてみろ、呼吸しても痛い状態でやり返しはできないぞ、と言いたい。

うずくまったまま翌朝、痛くて辛くて、だったがクルマ乗って医者へ。

これはあかんなあ、X線撮りましょう、だった第一声。

一か所は私が見ても分かる見事な骨折、2か所は説明されると分かる骨折(ヒビは通称で医学的には骨折)、後2か所骨折の可能性ありだが、固定したらこれはすぐに治るでしょうだったので、3か所骨折の診断書書いてもらって配偶者に見せると、「あの程度で骨折なんかすか。これは懇意の医者に書いてもらった嘘だ」で逆切れされた。以降これまでどんな形にせよ謝罪を受けたことはない。

それからしばらくして夕食の為にリビングの椅子に座って待っていたら、20時過ぎても私の夕食は出ない。21時前になって「俺の食事は?」というと、「食べるんか」という返事。早い話「働かざる者食うべからず」ということらしい。

今も食事出来てるの休職とはいえ私が働いてきたからもらえる金で、食うべからずは一体何なんだ、とさすがに激昂、それ以来食事は私と私以外の二つに分裂し、私的にはこの時家族関係も崩壊したと思っており、仲介の弁護士入れる為の収入がその後どんどん配偶者取り上げられたので、実行できないが洗濯、掃除、風呂、など私に対する世話というかいたわりというかが消滅してゆき、実際上の心理的婚姻関係は消滅した。

昨年の二つの発言はそれにとどめをさした。

今私は三次元の女性と話すのが基本的にはかなり難しい。私が積極的に話しているように見える人はたまたま気が合うとか、この人なら暴行されないだろうと確実に思える人で、結果三次元は鬼門で、この間カウンセラーに言ったが、AV見せられても昆虫の交尾位にしか思えないのですよ、だから泌尿器科的にはEDじゃないのかもしれないけど、精神科的にはEDです。今私が直接的に「勃起」することがあるのは、知人というには、だが、愛上陸(あいうえおか、というエロ漫画作家)が創作した「倉敷玲奈と津島理奈」というばりばり二次元のキャラだと言った。

要は最早私は三次元の異性を異性とではなく暴力装置としてしか認識できなくなっているのだ。

一人目の友人の死亡が伝わり、コロナに入ってからまもなく一つ目の発言があったと思う。ここから物凄い不眠症が襲ってきた。外が明るくなって完全に諦められると3~4時間位寝れるが、それは昼間に活動が殆どできないを意味する。

コロナで大阪市内の主治医の診断を受けるのは無理で、効かなくなった睡眠導入剤飲むが寝れないと続いた。多分8月だったか、コロナに罹患したら最悪死にゃいいんだと割り切り主治医に窮状を伝え、薬を変えてもらったら今度は食思不振症が出てきた。

元々収入の殆どを取り上げられ、食費も医療費も一円もくれないので、年金支給日前は財布に最悪な時は26円しかない時もあり、それで十日過ごさねばならない、なんてのが生じる事もあり、友人に何か手伝うからご飯食べさせてくれ、の生活をしていたから自身で呼び込んだ疾病ともいえる。

なってみて、「これは餓死するの出るわ」と納得したのは22時位になると「今日も食べなかった、エライ俺」みたいな異様なモチベーションというか達成感が出るのだ。餓死に納得した。

完全に家族関係が消滅したと思い知ったのはこのころからで、13キロ位痩せて、しかも一日一食食べる日も彼らと顔合わしたくないので、食べてる姿を殆ど見せず、またパーキンソン病の悪化かよく転ぶのだが、誰一人として大丈夫かを言わない。

最初に書いた岐阜県論文執筆の資料調査に、言うとまだそんな趣味続けてるのか、となじられるのが嫌だったので、何も言わずに岐阜へ行ったが二日間不在だったがきづく者いず、11月から12月4回検査などで入院したが、どうも誰も不在だった事に気づいていないようだ。

要するにそれほどまでこの家族は解体してる証明だ。

腹が立つのは自分たちで処理できない物の時のみ家族を力説してくること、それから農業や自治会の奉仕活動の時、私が行くのは当り前で、私が行けなかって「家族」に行ってもらうと、私が彼らに日当を払わなければならないことだ。

私が行っても金はもらえぬ。

こんなんなら不参日当払ってる方が精神的ストレスが少ないかもと思う。

これから池の堤の草刈りが始まる。私はパーキンソン病になった時ふるえて草刈り機を取り落とす可能性に、池の堤のような傾斜ある所で作業すると転倒する可能性が加わる為、行っても池の周りのフェンスについた蔦の処理位しかできないので、不参日当が5千円以上もしなかったら不参にしたいが、そうすると配偶者と称するのが、「そんなんやったらこの子らに行かせてお金やって」言うのに決まってるので、草刈り機使ってる人たちからの白眼視に耐えながら行ってるが、ほんとストレスで白髪になりそうなのだ。

自慢することに結果的になるが我が家は応仁の乱で京都にいられなくなり、この村へ没落してきたもので、明治当初の当主までは使えた最後の足利義政公に賜った「政」の字がイミナに入る。その先代は「教」、その先代は「持」をイミナに持っていて、合戦用の武具には「二つ引両」足利氏の家紋が入っている。一応そうしたものなので、上に総庄屋Y家があるが、その次の庄屋を務めていた。

総庄屋Y家は前当主が家を捨て、尊王攘夷運動家として、長州藩の客分兵として禁門の変、長州征伐、鳥羽伏見、戊辰戦争と参加し、苗字も変えて村を捨てたが、その子は廃藩置県などで、各藩に貸してた金がホゴとなり、夫婦で自決、今もY家墓地に没年が一緒の夫婦墓に眠っている。

この際多少血縁もあったためか、日柳燕石らと交わってた当主が検視から葬儀などを仕切ったそうで、名字帯刀許されてた、Y家と我が家は結果村内から配偶を迎える事がなかったので、村内に親せきが殆どなく、階級闘争史観が力あった頃は我が家は攻撃の対象となり、幼い私すら、そんなことまで言われなければならないのか、と思ったし、父が大病した折父が死ぬか博打の対象にしてた人がいたというのを後で聞いて更にこの村が嫌いになった。でも、寺社の修築とかあると500万位はだせとかいうのだ彼ら。

12月の入院以降、正直生きているのが辛くて辛くて。死ぬことばかり考えてしまう。今は新しい論文の構想など思いつこうとすらしていない。

とどめは先週金曜の転倒事故。これでパーキンソン病の進行、自分が意識してたよりかなり早い事が分かった。最悪三年以内に車いすという可能性は否定できないと思う。

愚痴ばかりになってしまい、もう少し書きたい事もあったが、この辺で。
突発的に自死しない保証がないので、こんなブログだったがこれまで読んでくださったこと感謝しますと最後の言葉としても使えそうな言葉で締めくくっておく。

これまでありがとうございました。


# by nara-archaeol | 2021-01-28 20:19 | つれづれ

遂に執筆再開

不眠症、少し落ち着く→食思不振症へ主訴移り、体重激減。

集中力も持続力も無くなる。

一族の者と口も聞かない関係になり、一族の者がいると不快で、あげくに喧嘩になる可能性高く、一族の者がいる所では執筆が不可能となる。

といった経過を経て執筆が滞っていたが、夕刻よりようやく第一章に敷衍しようと思ってた文章を書き加える。

第二章の言辞を修正し、第二章と第三章の書くための資料を整える。

久しぶりに書いたら投げ出したくなりつつもようやく書き上げる。

疲弊感がすごい。落ち着いたら何とか入眠して、目覚めたらオオカミ少年にならずに続きを書きたいが、書き始められるぞ、という自信が全くない。

食べる量がものすごく少ない。

体持つのか。きつい、とにかく体きつい。

# by nara-archaeol | 2020-10-26 20:29 | 考古学関係(日本史含む)